協会報第124号

巻頭言 

令和6年元旦の能登半島地震で犠牲となられた方々に謹んで哀悼の意を捧げ、被災地域の皆様にお見舞いを申し上げます。

大災害時には平時の地域に潜在するあらゆる問題点が顕在化し、かつ先鋭化し増幅されることを過去の震災から学んできました。医療面では阪神淡路大震災(平成7年)において、発災72時間以内に多数の救えたはずの命があったとの教訓から災害時派遣医療チームが創設され、保健所が自律的に参集した救護班の配置調整や情報共有を行う場であり、メンタルヘルスや感染症対策などの健康管理活動にも努めることとされました。東日本大震災(平成23年)の教訓からは、発災当初の保健と医療の連携、災害時における司令塔としての保健所機能強化、地域災害医療対策会議の設置、地域ごとに平時から顔の見える関係を構築することの重要性が強調されました。熊本地震(平成26年)では、発災急性期から亜急性期にかけて医療と保健を統合した保健医療調整機能の強化、その後頻発する風水害の教訓から福祉との連携の重要性も指摘され、令和3年の防災基本計画に保健医療福祉調整本部の設置と災害時福祉派遣チームの整備が追加されてきました。

こうした災害への対応経験を通じて、超早期の救命医療から福祉までを包含した災害時健康危機管理体制へと変遷してきた過程は、そのまま我が国が高齢化社会(平成6年)から超高齢化社会(平成20年)へ到達しさらに進展しつつある現実と重なります。

今回の震災に対して愛知県内の病院からは、1月2日にDMAT20隊が出動し、2月7日まで合計80隊が出動しています。東日本大震災や熊本地震と比較すると、DMATの派遣期間が2ヶ月近くまでに長期化したことは特徴的です。大規模災害発災時には厚生労働省DMAT事務局からの要請によってまずDMATが出動し、その活動期間が終了する災害亜急性期以降は、非DMATである医療救護班や病院支援班等の活動期間となる筈でした。愛知県病院協会は愛知県と災害時の協定を締結しており、災害救助法に基づく県知事からの要請があれば、会員病院に呼びかけて医療救護班の派遣を調整し、DMATから切り替わってゆく時期です。今回DMATの活動期間が過去に例を見ない長期に及んだことは、能登半島がもともと地域の医療資源が手薄であった状況、地理的条件や新型コロナやインフルエンザ感染症の流行期でもあったことが要因です。令和4年4月時点で本県には36の災害拠点病院が指定されており、うち32病院に70チーム以上のDMATが整備保有されています。被災地の医療機関の人的物的被害が大きい程、地域医療の再建にはより長期間を要します。災害拠点病院は被災地域にあって傷病者の受け入れ搬出の拠点であることはもとより、広域災害への対応として急性期に特化したDMATのみならず、災害亜急性期以降から長期にわたって被災地の病院医療を継続的に支援するためのチーム整備も求められつつあり、災害拠点病院の対応力向上を支援する法整備が必要と考えます。

平時と災害時の差は紙一重であり、明日は我が身であることを改めて痛感します。被災地での復旧・復興・支援活動に従事されている皆様にあらためて感謝の念を捧げます。

                    

会長 浦田士郎

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